従来、開発プロセスは固定化し、全員同じプロセスを使用することを要求された。
開発標準に則り、ソフトウェアを開発することが正しいと考えられてきた。
人を機械の如く見なし、画一的で均一化が求められる。
一方、アジャイル開発は、人の多様性を前提とし、その時々に応じて変化することを求められる。
アジャイルを端的に表現した言葉「アジャイルは『やる』のではない。『なる』のだ」に、全てが集約されている。
僕は、この言葉を簡単に表現する方法を模索していたが、昨日ふと閃いた。
WF式の場合「(計算を)やる」、アジャイル式の場合「(計算方法を考えるように)なる」と言えるのではないだろうか。
こうやって比較すると、いかにアジャイルが大変か理解できる。
WF式は、既に決まった計算式に則り、計算すれば良いだけである。その計算式が間違っていたとしても。
一方、アジャイル式は、自分達で最適解を考え出さなければならないし、計算式の妥当性を自分達で担保しなければならない。
僕は、どちらかというと、アジャイル式の方が好きだ。
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