2011年5月22日日曜日

・・・そして代表に。

2011年05月17日。
日本XPユーザーグループ関西の代表に立候補し、受理された。
一区切りの意味を込めて、社会人になってからの20年間をふりかえってみた。


1991年~1995年 新入社員時代

1991年。バブル経済が弾ける1年前。

この年に入社した同期社員は、過去最大人数だったらしい。
憧れて夢見た「ソフトウェア開発」の仕事。

「3年で独立し、ゲーム会社を設立する」ことを目標に、とにかく積極的に仕事に取り組み、手に職を付けたいと考えていた。

しかし、現実は厳しく、そう簡単にスキルが身に付くはずもなく、コーディングとデバッグに明け暮れる毎日だった。


1995年~1999年 中堅社員時代

ようやく仕事になれてきたが、自分の目標とするスキルを身に付けることができていなかった。

ただ、「積極的に取り組む姿勢」だけは継続していて、セミナーや社内勉強会にはなるべく参加し、席も最前列に座って何か得ようと努力していた。

しかし、業績面ではお世辞にも褒めらたものではなく、失敗やミスの連発により、社内では「がんばっているが、空回り」との評価を拭い去ることができなかった。


2000年 兆候が現れた

この年、友人同士で企画した某アニメーションを主題にした記念イベントを開催した。

スタッフと参加者がほぼ同数だったと記憶している。(合計40~50名だった)
企画から本番まで、実に2年の歳月を掛けて準備したイベントだった

初めてのイベント。初めてのスタッフ。何もかも初めてのことばかり。
本番当日にもいくつかトラブルが起こったものの、なんとか最後までやりきることができた。

この時の経験が、後の「イベント」開催に大きな影響を与えていることは、間違い無い。


2002年 ターニングポイント到来

「がんばっているが、空回り」の結果、致命的なバグを作りこみ、関係各所に多大なる迷惑を掛けてしまった。

「もう2度と同じ過ちは繰り返さない」と心に誓い、開発手法や設計方法の書籍を読み、社内のナレッジを集結し、ウォーターフォールをベースにした独自の「高品質かつ高生産性」な開発プロセスを策定した。

そのプロセスでも納得することができず、毎月1回のペースで評価&フィードバックを繰り返し、より高みを目指して改善に取り組んでいった。


2003年 水平展開を開始

「高品質かつ高生産性」をキーワードに、無駄を省き、品質の高いソフトウェアを開発する方法を模索し続ける日々を過ごした。この時得た答えの一つが「レビュー」であった。製作したあらゆる成果物に対し、僕がレビューすることで、品質を維持することができた。

レビューによる効果は非常に高く、品質をある一定レベルに維持し続けることができた。

この頃、周囲の開発が非常に危険なものに見えて、仕方がなかった。そこで、これらの取り組みを社内に水平展開するべく、独自に社内セミナーを開催し、発表した。

しかし、賛同者を得ることができず、孤軍奮闘の日々が続く。


2004年 名誉挽回

それまで培ってきた開発プロセスを用いて、業務知識の無いメンバーを4名投入し、1つのプロジェクトを完遂させた。
それまでは、見積もり精度が悪く、プロジェクト後期にバグが大量発生するのが常だったのに対し、高精度の見積もりで、障害発生率も圧倒的に少ない、見積もり精度/品質の両面で精度の高い製品を出荷できた。

この功績が認められ、過去の汚点を挽回するに至り、(同期入社の社員の中で最も遅かったが)昇格することができた。


2004年~2005年 XPとの出会い

品質は確保できるようになったが、まだ生産性の面で問題があり、ウォーターフォールを脱却し、より効率的な開発方法を求めて、XPの導入を検討開始した。


タイミング良く会社の近くでXP関連のセミナーがあり、そこで川端さん(当時「日本XPユーザーグループ関西」(以下XPJUG関西)代表)の発表を聞いて、XP実践者と初めて遭遇することができた。

XPに関する情報を探していた所、「XPJUG関西」というコミュニティが存在していることを知った。しかし、参加には年会費(たしか5千円だったはず)が必要と記載されていた。当時、社内にXPへの理解者がおらず、会社経費で落とすことは困難な状況であったし、自腹を切ってまで得られる見返りが分からず、参加を断念した。



手っ取り早く情報収集するべく、XPに関する書籍を読んだ。そこには、それまで「常識」と思っていた事柄がことごとく否定され、その代わり、シンプルかつ効率的な手法がズラリと並べてあった。その素晴らしい開発手法に触れて、「絶対実践しよう!」と心に硬く誓った。

この時、同じプロジェクトに自分より年長の方が居たこともあり、XPの導入方法についてアドバイスを頂いた。当時、マネージャを始め、他のプロジェクトに賛同者が1人もいなかったため、貴重な戦力であった。

ペアプロ、ストーリーカード/タスクカード、週40時間、テスト駆動型開発、シンプル設計、コミュニケーション、フィードバックなどなど・・・様々なXPのプラクティスや価値を実践し、体得して行った。

自分が体得したものをベースに、プロセスを構築し、ルールを記載したドキュメントを作成し、メンバーに周知し、XPの導入を開始した。XPの勉強を始めて半年後の事だった。

導入後、毎月ふりかえりを実施し、ルールの最適化を随時実行し、生産性と品質の向上を目指し改善に取り組み続けた。



2006年 コミュニティに参加

XPのプラクティスの中で、最も難問であった「リファクタリング」の導入に挑戦する。社内で勉強会を開催し、スキルアップを図り、なんとか導入を実現させた。

当時、XPに関する情報が非常に乏しく、サーチエンジンでは有益な情報を得ることができず、困っていた所、当時流行りだした「mixi」に活路を見出す。早速XP関連のコミュニティに参加するも、活発な意見交換はなされておらず、がっかりした。

しかし、mixi内で存在を知った「プロジェクト・ファシリテーション・プロジェクト関西」(以下PFP関西)主催のワークショップに参加し、雷に撃たれた様な衝撃を覚えた。

フセン、大きなマジック、初めて会う人との意見交換、マインドマップ。どれもが新鮮で、驚きに満ちていた。

やがて常連参加者となり、自然と「スタッフにならないか」とのお誘いを受け、2つ返事で引き受けた。この年、自分で初めてワークショップを開催する。

初めてのワークショップで、時間通り進行/運営し、PFP関西のワークショップで初めて「ふりかえり」まで実施し、スタッフから「すごい!」と評された。


2007年 日本XPユーザーグループ関西に参加

PFP関西スタッフとしての活躍を見初められ、「XPJUG関西に入らないか?」とのお誘いを受けた。初めてXPJUG関西を知ってから約2年の歳月を経てこの団体への参加が叶った訳である。

スタッフになった途端、「JaSST関西でしゃべってください」と言われ、ぽっと出の新人である自分がノコノコ出て行ってしゃべって良いのか、一抹の不安に駆られながら発表することとなった。
約80名の見ず知らずの社会人の皆様の前で発表するという大役に緊張していたが、とても良い経験となった。

その年の11月。
僕が最初に企画した「スターティングXP」を開催。スタッフの皆さんに助けて頂きながら、無事開催することができた。

僕の出し物は「ペアドロー」。以前、平鍋さんが「XPアンギャ」で実践されていたものである。やり方がいまひとつ理解できず、直接平鍋さんに問い合わせメールを出す暴挙に出た。そんな見ず知らずの僕に対して、平鍋さんはとても丁寧な対応をとって下さり、なんと直接お電話でアドバイスを頂くことができた。

ほんの2年前に始めたばかりなのに、日本におけるXPの重鎮と直接お電話できるとは、夢にもおもっていなかった。


2008年 転職

色々考えた末、転職を決意。
年齢35歳になった僕にとっては、転職できる最後のチャンスであった。
非常に厳しい就職活動を経て、現在の職場に転職することができた。

最初の1年目は、仕事に慣れるので精一杯であった。

コミュニティでは、「XP寺子屋」を立ち上げ、XP初心者向けのセミナーを開始する。

この年、スタッフの皆さんからの推薦で、XPJUG関西の副代表に選ばれる。


2009年 自分の無力さを思い知らされた

この年は、人生で一番厳しい状況を体験した時期であった。

自分のすべてを否定され、何をやっても上手くいかず、やる気を失い、転職した事を後悔して過ごした年だった。


2010年 心機一転

社内の人事異動で新しい部署に配置転換となり、新しいプロジェクトで力をふるうこととなった。

移動先の部署では若手が多く、僕の力を有効活用できる場面がたくさんあった。その中で、「ペアふりかえり」を始めた。また、ソフトウェア開発のみならず、営業や上司にも積極的に話し、自ら進んで業務を遂行して、新部署における自分の立ち位置を確立して行った。


2011年 そして、代表へ

この年、代表である細谷さんが引退を名言した。

僕は、XPJUG関西の代表になる意思はあった。

5月17日に開催されたスタッフミーティングで、XPJUG関西の代表に立候補し、スタッフ全員から拍手を持って迎えられた。




社会人になって20年。
自分がこの様な場所に立つとは予想していなかった。

ふりかえりと、ソフトウェア開発に関する知識の吸収に積極的に取り組み、より良い方法を求め続けてきた。常に「自分がやらなきゃ誰がやる」という気持ちで、新しい方法に取り組み、実践し、自分のものにしてきた。それが、「アジャイル・スピリッツ」なのではないかと考えている。

今後も、アジャイル・スピリッツを失うことなく、XPJUG関西の代表として、日本の技術者にXPの素晴らしさを伝えて行きたいと考えている。

1 件のコメント:

  1. XPJUG関西代表に立候補して頂き、うれしいです。
    電話のこともよく覚えています。
    日本のソフトウェア開発の現場を、変えて行きましょう!

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